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仙台高等裁判所 昭和44年(行コ)9号 判決

控訴人 岡部キヌ ほか三名

被控訴人 盛岡税務署長

訴訟代理人 相川俊明 石井肇 ほか六名

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人が訴訟承継前の控訴人岡部岩雄の昭和三二年度所得税額につき昭和三五年一二月二〇日直(所)第二三四号昭和三二年分所得税更正通知書をもつてした再更正処分のうち一一七四万四、六六〇円を超える部分、右再更正処分に伴う重加算税賦課決定処分のうち五〇九万四、〇〇〇円を超える部分を取り消す。

(二)  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇〇分し、その四三を被控訴人、その余を控訴人らの各負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が訴訟承継前の控訴人岡部岩雄(以下単に岡部という。)の昭和三二年度所得税額につき、昭和三五年一二月二〇日直(所)第二三四号昭和三二年分所得税更正通知書をもつてした再更正処分ならびにこれに伴う重加算税賦課決定処分を取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訟人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次に記載するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(但し、原判決二枚目表二行目に「昭和三五年」とあるのを「昭和三三年」と訂正する。)

(被控訴人の主張)

一  秋田木材関係山林所得の帰属年度

(一)  立木を対象とする売買契約には、〈1〉当事者双方の主張する材積を調整して売買代金を確定させ、爾後代金を増減する余地のない契約(通常の立木売買契約)、〈2〉当事者双方の主張する材積を調整して売買代金(単価および総額)を一旦確定させ、のちに出材数量に応じて代金増減の余地を残す契約(出材精算型契約)、〈3〉あらかじめ売買代金総額を定めずに単価のみを定め、出材数量によつてはじめて売買代金総額が算出される契約(純粋型出材契約)の三種類がある。

(二)  右〈1〉の契約は本来の典型的な立木売買契約であつて問題はない。〈2〉の契約も本質的には立木売買契約であるから、立木所在地、対象立木が特定し、立木の引渡がなされ、代金総額が定められている点は、〈1〉の契約と同じであるが、出材数量に応じて代金増減の余地を残す点に特質があり(なお、〈1〉の契約と同様、伐採、造材、運搬の費用はすべて買主の負担とされている。)、出材数量が代金額に影響するので伐採後検知を必要とする。これに対し、〈3〉の契約は、素材契約の一変型であり、対象林地は一応特定し、単価、本数は定められるけれども、材積、代金総額は定められず(伐採、造材、運搬の費用は買主の負担とされることが多く、この点において本来の素材契約と異なる。)、出材数量によつて代金額が定まるため伐採後の検知が厳格に行われる。

(三)  本件繋山林の売買契約は、次のような特徴からみて〈2〉の契約とみるべきである。

(1) 立木所在地、林班が指定され、売買の対象たる立木が特定されている。

(2) 右林班内の立木は全部伐採されている。

(3) 対象立木の総材積、総代金額が定められている。

(4) 立木の所有権移転時期を伐採後とする特約がない。

(5) 引渡は立木引渡とされている。

(6) 立合検知は材積測定のためである。

(7) 危険負担は買主にある。

(8) 出材増石分は微々たるものに過ぎない。

(四)  出材精算型契約にあつては、その対象立木の所有権移転時期が明示されている場合は別として、その定めのない本件のような場合には、右契約が効力を生じたとき(契約成立の日)にその所有権が移転するものと解すべきである(立木の所有権が売主にあり、対象物件が特定し、代金総額が定められている以上、立木の所有権移転に支障となるものはなく、伐採後の検知は代金額の増減に影響するのみで、所有権の移転とは何ら関係がない。)から、契約成立の日をもつて山林所得の収入金額の権利確定時期とすべきである。本件で問題とされている繋山林の売買契約は、原判決添付別表三のとおり、昭和三二年中に成立しているから、右売買による収入金額は同年度の所得とすべきである。

二  繋山林の取得価額

岡部は、本件繋山林を訴外杉本合名会社(以下単に杉本台名という。)から昭和二二年一二月三日三〇〇万円で取得したもである。右山林を昭和二一年一〇月一五日六〇〇万円で訴外高橋金五郎から取得したとする控訴人らの主張は、次の事実に照らして失当である。

(一)  高橋金五郎は昭和二二年一〇月頃杉本合名に対し右山林の買受申込をしたところ、岡部はその後右取引の情報を得て右山林を入手すべく右高橋と交渉し、その結果これを取得することに成功し、杉本合名との間で代金額を三〇〇万円とする売買契約を締結し、昭和二二年一二月三日付で山林売渡証が作成されたのである。

もし控訴人ら主張のように、岡部が昭和二一年一〇月一五日右高橋から六〇〇万円で取得したものとすると、高橋、杉本合名間の売買の一年以上も前に、売買価格を倍額として締結されたことになり、極めて不自然である。

(二)  岡部が右高橋から譲り受けた際作成されたと主張する昭和二一年一〇月一五日付山林土地立木売買契約書(甲第四号証)は後日、日付を遡らせて作成されたものである。すなわち、右契約作成日付当時杉本合名との間で譲渡の条件について話合がまだ行われていないにもかかわらず、右契約書にはその話合の結果が記載されており、また、昭和二一年一〇月一五日頃には未だ「株式会社岡部工業所」(昭和三五年七月二一日日東工業株式会社が株式会社岡部工業所へ商号変更されている。)なる会社は存在しないにもかかわらず、右契約書用紙には「株式会社岡部工業所」なる文字が印刷されているからである。

三  控訴人ら主張の後記四の事実は認める。

(控訴人らの主張)

一  秋田木材関係山林所得の帰属年度

(一)  岡部が昭和三二年中に秋田木材から受領した六五〇〇万二、九一〇円のうち三、五〇〇万円については、昭和三二年度において権利の確定した収入金額ではない。すなわち、岡部は昭和三二年一月三一日秋田木材に対し繋山林を売り渡す際、概算前途金として三、〇〇〇万円を受領したが、その際秋田木材に対し額面合計一、五〇〇万円の約束手形(五枚)を振り出し、また同年四月五日(第二回)右同様一、〇〇〇万円を受領する際額面合計二、〇〇〇万円の約束手形(八枚)を振り出し、合計三、五〇〇万円の約束手形金債務を負担した。右手形の交付は、秋田木材に対し割引融資の便を与える趣旨もあつたが、契約に基づく出材石数の引渡を担保する趣旨のものであつた。従つて引渡石数が契約数量に充たない場合には、当然岡部においてその不足分を清算することが予定されていたのであるから、右清算決済に至るまでは右手形金相当額は、仮受金に過ぎず、未だ権利の確定した収入とはいえない。そして秋田木材は昭和三二年度中に右手形を控訴人に返還していない。

してみると、岡部が秋田木材から受領した六、〇〇五万二、九一〇円のうち、右三、五〇〇万円を控除した残額二、五五二万二、九一〇円のみが昭和三二年度中の確定した収入金額である。

(二)  かりにそうでないとしても、秋田木材との間における昭和三二年度中における岡部の山林収入金額は、同年度内に引渡を完了した出材二万一、〇二八石六斗に対応する四、二〇五万七、〇〇〇円のみであつて、岡部が同年度内に一応受領した前記六、〇〇五万二、九一〇円から右金額を控除した一、七九九万五、〇〇〇円は未だ確定した収入とみるべきではない。

(三)  本件売買契約は、立会検知引渡によつてはじめて所有権が確定的に移転するいわゆる出材契約である。すなわち、

(1) 秋田木材は、当初立木売買を希望したが、対象地域の見込在石数に差異があつて折合がつかなかつた。

(2) その当時岡部は、本件対象地域内に生立する電柱用特殊材二万本について既に昭和三一年一二月二日日本電柱株式会社に出材契約により売却ずみで、該当材を選定しながら伐採搬出中であつたから、秋田木材との取引にあたり毎木調査による特定は困難であつたため立木売買の話は成立せず、結局立会検知によつて石数を確定して引き渡す出材契約を締結したのである。

(3) 前述のように、岡部は代金受領の際ほぼこれに見合う約束手形を振り出して出材石数の引渡を担保しているのであるから、立木契約が成立したものとみることはできない。この場合林班の指定がなされたとしても、これは前渡金の概算額を定めるため地域内に存在する石数を推定するためのものであつたに過ぎない。

(4) 第一回の売買と第二回のそれとは、契約書上は別個の林班を対象としているが、実際上同一地域の物件を格別の特定もなく、二回にわたり伐採して売り渡されている。このことは出材契約であることの何よりの証左である。

(5) 立木契約であるとすれば、伐採方法は買主の自由であつて売主がこれについて条件をつけることはあり得ない。しかるに、本件においては一三尺以上の長材の伐採方法について減石しないよう特別の定め(乙第八号証)を設けている。

(6) 秋田木材に対する立木の売渡は、岡部所有の繋山林の全地域にわたつているところ、秋田木材は昭和三二年中に約二万一、〇〇〇石を伐採したに過ぎず、残材約一万石を昭和三三年秋頃までに伐採搬出した。しかるに、岡部は昭和三二年中に電柱用材の伐採を続けていたほか、佐々木恵次郎外一一名に対し三九九・四石を売却して伐採し、昭和三三年中に木村木材および藤原製材所に、昭和三四年中に藤原製材所にそれぞれ売却処分している。もし本件売買が立木契約であるとすれば、秋田木材は買い受けた地域の山林について伐り残すことはあり得ない。

(7) 立木契約において、双方が後日立会検知することはあり得ない。本件の場合、双方立会検知の上、厳密に石数を計算して引き渡しており、その石数に応じ清算している。これは本件契約が出材契約だからである。

二  繋山林の取得価額

岡部は早くから右山林の買受を希望していたところ、杉本合名は御所村森林組合長高橋金五郎になら売り渡してもよいが、盛岡市在住の岡部には売り渡さないとの意向であつた。そこで岡部は、右高橋に対し右組合で買い受けたうえ、これを売り渡して欲しい旨申し入れ、同人がこれを了承したので、昭和二一年一〇月一五日価額六〇〇万円とする他人の物の売買契約を締結し、その際三〇〇万円を支払つた。そして翌二二年一二月頃右高橋が代金三〇〇万円で杉本合名から右山林を買い受けることとなつたので、岡部は右高橋にさらに三〇〇万円を交付し、これが右代金の支払に充てられたのである。右の次第で、右山林は岡部が昭和二一年一〇月一五日六〇〇万円で取得したものである。

三  石鳥谷化学工業株式会社関係の損金

岡部は、昭和三二年頃石鳥谷化学工業株式会社の九〇%以上の株式を所有する代表取締役であつたところ、右会社の経営が不振におちいつたため、同年一二月一八日開催の取締役会において岡部の右会社に対する貸付金二、一二八万円、立替金九三六万六、五四六円の債権を貸倒金(損金)として処理することとし、右債権は同日消滅した。右は昭和三二年度における岡部の損失とみるべきものであるから、総収入金額から当然控除すべきである。

四  岡部は、本訴係属中である昭和五〇年一月七日死亡し、その妻である岡部キヌ、その直系卑属である岡部美津子、岡部千鶴、松岡正子が相続によりその法律上の地位を承継した。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一  当裁判所は、被控訴人が岡部岩雄の昭和三二年度所得税額につき昭和三五年一二月二〇日直(所)第二三四号昭和三二年分所得税更正通知書をもつてした再更正処分のうち一、一七四万四、六六〇円を超える部分、右再更正処分に伴う重加算税額賦課決定処分のうち五〇九万四、〇〇〇円を超える部分を取り消すべきものと判断する。その理由は、次のように付加訂正したうえ、原判決理由一ないし三の記載をここに引用する。

(一)  原判決一九枚目表九行目から同二二枚目裏一〇行目にかけて「成立に争いのない甲第二号証……の主張は失当である。」までの記載を次のように改める。〈証拠省略〉

1  昭和三二年一月頃岡部は事業経営上早急に多額の資金を必要としたところから、右資金を捻出するため、伐採適齢期に達していた繋山林の杉立木を処分することとし、向井薫の斡旋でこれを秋田木材に売り渡すこととした。その際岡部としては前記事情から売却代金をできるだけ早期に支払つてくれるよう希望していた。

2  他方秋田木材としては、用材に適する杉立木を大量に獲得したいとの考えをもち、岡部から右山林の杉立木全部を買い受けたいとの意向であつた。そして代金の支払については岡部の希望にそうこととし、そのため当初はいわゆる一定範囲の特定の樹種全部を立木のまま買い受ける立木契約の方法をとることを希望し、右代金の支払とともに、右杉立木を自己所有のものとして確保したいとの考えをもつていた。

3  秋田木材としては、契約締結前に毎木調査をしてその在石数を見積つて岡部と交渉したが、両者の見積にかなりの差を生じ、そのために立木契約の方法による売買は不可能となつた。

4  そこで両者は、繋山林の杉立木の殆ど全部を売買することを前提としたうえ、秋田木材の伐採能力、支払能力と岡部の資金の必要性とを調整して数回に分けて契約を締結することとし、まず第一回目の契約(昭和三二年一月三一日)においては、右繁山林の立木のうち伐採後の石数一万五、〇〇〇石(伐採搬出の費用を秋田木材が負担することとし、代金合計三、〇〇〇万円)を売渡予定石数とし、それに見合う林班として六、八、九、一〇、一一、一二林班を指定し、その地域内には一応一万五、〇〇〇石の材積があるものとみたうえ、その増減が予測されるところから、伐採後双方立会のうえ厳密にその石数を計算し、その出材石数に応じて代金を精算する旨を約した。そして右契約締結後岡部側責任者立会のもとに秋田木材によつて伐採が開始され、その伐採石数が一定量に達するごとに双方立会のうえ検知引渡がなされた。

5  数回に分けられた売買契約のうち昭和三二年分は原判決添付別表三のとおりであるが、第二回目以後も第一回分と指定林班、契約数量は異つても全く同趣旨のものであつた。

特に第二回目の契約においては、一三尺以上の長材の伐採の場合減石しないよう検尺の方法を協議することを約した。

6  右各売買の際作成された契約書には、立木のまま契約締結の日もしくはその直後に引渡がなされる旨定められていたが、それは形式的なもので、実際はその前記のように立会検知のうえ引き渡されており、また第一回目には毎木調査が予定されていたのに、一、二回現地に臨んだだけで完全に行われず、第二回目以後右調査は省略され、専ら立会検知によることとなつた。

7  岡部は、その前年日本電柱株式会社に電柱用材となる杉立木を売り渡しており、前記第一、二回の契約締結当時その指定林班内において右用材を選定しながら伐採を継続していたし、昭和三二年五月頃から同年一二月頃までの間指定林班内から杉立木を伐採して佐々木恵次郎外一一名に売り渡している。また数回にわたる契約中さきに売渡の対象として指定された林班が後日の契約において再度指定されているものがあり、その伐採の場所をみてもその都度契約書所定の林班が厳守されていたわけではなく、各契約所定の予定石数にほぼ達した段階で伐採を打ち切るという方法がとられていた。その結果指定された林班にはかなりの伐り残しが生じ、後日その残材は被控訴人が原判決添付別表九において自認するように木村木材、藤原製材所に売り渡され、なお、一、〇〇〇石の残材となつている。

以上認定したところによると、右第一ないし四回の契約は、いずれも、指定林班に所在する杉立木全部を売り渡すというものではなく、そのうちの一定数量(売渡予定石数)をもつて売買の対象としたものとみるのを相当とし(従つて立木契約とは相容れない。)、各契約締結の段階では未だ対象物件が特定せず、後に行われた検知引渡によつてはじめて特定したものとみるべきである。そして対象物件の所有権の移転時期について特別の定めのみあたらない本件各契約においては右検知引渡のときにその所有権が移転したものと解すべきである。

右各契約書の表題が「立木売買契約書」と表示されていること、代金の支払が検知引渡と関係なく契約締結時もしくはその直後に支払われていること、伐採搬出の費用が秋田木材の負担とされていたことは、前記認定の事情のもとでは右所有権移転の時期を別異に解する根拠とはならない。

控訴人らは、岡部において昭和三二年一月三一日付契約の際額面合計一、五〇〇万円、同年四月五日付契約の際額面合計二、〇〇〇万円の約束手形を買主たる秋田木材あてに振り出し、右合計三、五〇〇万円の手形債務を負担しているから、昭和三二年中に受領した代金のうち右手形相当額は仮受金であつて、権利の確定した収入とはいえない旨主張する。前記認定の事実に、〈証拠省略〉によると、岡部は、控訴人ら主張のように秋田木材に対し合計三、五〇〇万円の手形を振り出したこと、右振出の趣旨は、岡部において早期支払を求めたため、秋田木材としては多額の前渡金を支払うこととなるので、契約所定の石数を担保することおよび秋田木材に対し割引の方法により資金を融通すること(割引料は岡部の負担)にあつたこと、しかして岡部は後記認定のように右手形に対応する部分については昭和三二年中に契約所定の石数を上廻わる杉材を引き渡してその履行を終えたこと、従つて秋田木材と岡部との間では岡部の右手形上の債務は消滅しているから、右手形債務は秋田木材において負担すべきもので、岡部が手形所持人に対し右手形金を支払うべきときは、秋田木材において岡部に対しその額を償還すべき関係にあることが認められる。従つて、かりに右手形が岡部のもとに返還されないとしても、岡部において受領ずみの第一、二回分の代金については、右手形との牽連関係は消滅し、昭和三二年度の確定した収入金額となつたものというべきである。

そこで昭和三二年度に帰属すべき右繋山林の収入金額について考えるに、山林所得の権利確定時期に関する前記国税庁長官の基本通達は相当として是認できるところ、本件売買契約においては検知引渡により買主たる秋田木材に順次所有権が移転したことは前記認定のとおりである。そして(〈証拠省略〉)によると、昭和三二年中に岡部から秋田木材に引き渡された杉材の数量は二万一、〇二八石六斗であること(従つて第一、二回契約分は完了)が認められ、右認定を左右するような的確な証拠はなく、右四回の契約に基づく売渡石数三万一、〇二八石六斗の代金総額は六、〇〇五万二、九一〇円であるから、右引渡石数分に相当する四、〇六九万八、八五九円をもつて昭和三二年度の収入金額として計上すべきであり、右金額を超える部分はその翌年度以降の収入金額として計上すべきである。

(二)、(三)、(四)、(五) 〈訂正関係省略〉

(六) 同二行目の末尾に次の判断を付加する。

控訴人らは、右繋山林は岡部において昭和二一年一〇月一五日六〇〇万円で買い受けた旨主張し、前記措信しない証拠を除き、右主張にそうものとして〈証拠省略〉がある。しかしながら、右甲第四号証の用紙には「株式会社岡部工業所」なる名称が印刷されているところ、右本人尋問の結果によると、商号変更により株式会社岡部工業所なるものができたのは昭和三五年七月二一日であること、右記載内容はすべて杉本合名と高橋金五郎との間の契約内容を前提とするものであるところ、〈証拠省略〉によると、杉本合名と高橋との売買の交渉は昭和二二年一〇月以降になされたものであつて、それ以前にはなされていないこと〈証拠省略〉によると、岡部は昭和三四年二月四日収税官吏に対し本件繋山林を三〇万円で買い受けた旨供述しており、また〈証拠省略〉によると、本件繋山林を買い受けた日について、昭和三四年三月一九日収税官吏に対し、さきに昭和二一年一一月三〇日と述べていたのを訂正し、昭和二二年一一月三〇日であると述べていることが各認められ、これらの事実に照らすと、右甲第四号証は後日日付を遡らせて作成された内容虚偽のものと推測する余地が多分にあり、右主張を肯認する資料とはなしがたく、右主張にそう前記〈証拠省略〉は措信できない。

(七)、(八)、(九)(一〇)、(一一)、(一二)、(一三)〈訂正関係省略〉

(一四) 控訴人らは、昭和三三年一二月一八日岡部の石鳥谷化学工業株式会社に対する貸付金二、一二八万円および立替金九三六万六、五四六円の債権を貸倒金として処理したから、右は同年度における損金となる旨主張する。なるほど、〈証拠省略〉には、右主張にそう部分がある。しかしながら、〈証拠省略〉によると、同会社の帳簿上右各債権は昭和三三年度にそのまま繰越金として記帳され、同年三月五日に至つて資本金に組み入れられ、結局〈証拠省略〉の趣旨にそう処理がなされていないことが認められ、また貸倒金として損金処理をするためには、当該年度中に債務者たる同会社に破産、和議の手続が開始するか、債務超過の状態が相当期間継続し、事業を閉鎖するかもしくは再建の見込がなくなるなど債権回収の見込のないことが確定した場合に限られるところ(国税庁長官昭和二六年基本通達一-二六九、同一-二七〇)〈証拠省略〉によると、同会社は昭和三二年一二月一八日当時未だ右のような状態にたち至つておらず、むしろ当時同会社の岩手殖産銀行からの借入を実現するため前記のように岡部が右債権を貸倒金として放棄したかのような体裁を整えたに過ぎないものと認められるから前記金員を昭和三二年度の損金として処理すべきではない。〈証拠省略〉中右認定に反する部分は措信できない。

(一五) 原判決二九枚目表末行から同裏一行目までの記載を「してみると、本件再更正処分のうち、山林所得金額につき二、九一八万七、五〇〇円を超える部分、所得税額につき一、一七四万四、六六〇円を超える部分は違法であつて、取消を免かれない。」と訂正する。

(一六) 同三〇枚目裏四、五行目に「算出した本件重加算税額賦課決定処分は適法といわなければならない。」とあるのを「算出すると、その重加算税額は五〇九万四、〇〇〇円となる。してみると、本件重加算税額賦課決定処分のうち、右金額を超える部分は違法として取消を免れない。」と訂正する。

(一七) 岡部が昭和五〇年一月七日死亡し、控訴人らが相続によりその法律上の地位を承継したことは当事者間に争いがない。

二  してみると、右の一部趣旨を異にする原判決は相当でないから、主文第一項のように変更することとし、民訴法三九四条、三九六条、九六条、九二条、九三条一項本文を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤幸太郎 田坂友男 佐々木泉)

別表〈省略〉

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